ブラック企業をはじめ、労働環境の悪い企業の中には、「社畜」という存在がいる。
「社畜」とは、「会社」と「家畜」を組み合わせて作られた造語で、「勤めている『会社』に『家畜』のように飼いならされたことによって、思考停止し、自らの主体的な意思を持たず、『会社』から言われるがままに、辛い仕事や理不尽な仕事でも、ひたすらこなすようになった会社員」という意味である。
タイトルの通り、「社畜」と「社畜を都合良く使う上司」の相性の良さは抜群であり、まともな人にとっては働く価値のないブラックの底辺と断言できる。
しかし、残念ながら本当に優秀な人材や謙虚さのある人は、「社畜」を
- 「企業に貢献している人」
- 「困難の中にも関わらず頑張っている人」
- 「メンタルがとても強い人」
のように、「優位性」があるように見えてしまう。私も過去にそのような経験があった。しかし、後に「優位性」ではなく「社畜」であることに気づいたのである。
この記事では、「社畜」に見られる傾向を私の経験に基づいてお伝えするとともに、「社畜」がどのように害悪であるかを解説しようと思う。
目次
- 1.「社畜」は悲惨な状況で頑張っていることを自慢したい
- 2.「社畜」はまともな環境を「甘い」と称して自分に優位性があると勘違いする
- 3.「社畜」は文句を言いながら頑張り続け、改善のための行動を起こさない
- 4.上位者は都合の良い「従順な社畜」のことを「優秀な人材」として重宝する
1.「社畜」は悲惨な状況で頑張っていることを自慢したい
過酷な労働環境の中で、稀にこのようなことを言う人がいる。
- 「俺、昨日○時間しか寝てないわ!」
- 「俺、○連勤。記録更新中!」
- 「血尿が出て一人前!」
- 「過重労働になるとテンション上がるわ!」
- 「IT業界でやっていくにはどれだけ自分を犠牲にできるかだ!」
言っている人は自慢しているつもりなのかもしれないが、第三者が聞くと何も良いとは思わない。
「悲惨な状況の中、頑張っている姿に称賛してほしい」とでも思ってほしいのだろうか?
こういう人達は、「社畜自慢」と呼ばれる。また、別の呼び方では「肉屋を応援する豚」とも呼ばれる。自分達は犠牲になっていくのに、それによって恩恵を受ける人や組織を称えるなど、世間一般の人達には理解できない。
こういう人達は大体、「悲惨な状況でも頑張ってる自分は偉い」という論調でアピールする人ばかりで、ブラックな環境に洗脳され、実際に「その状況から抜け出そう」、「その状況を改善しよう」とする人間は本当に少なく感じる。
結局、自ら搾取されに劣悪な環境に向かって進んでいるようなものであり、「厳しさ」と「粗悪さ」の区別ができず、「厳しさの中、よく耐えている」と思考停止しており、自分の頭で考えることを放棄した末路であるといえる。
本来、これとは逆のことを自慢してほしいものである。
「俺、昨日○時間しか寝てないわ!」「俺、○連勤。記録更新中!」- 「残業禁止の職場で、健全な生活をしながら、余裕で納期に間に合い、高い成果を出し、高く評価された。」
「血尿が出て一人前!」- 体調の異変に早く気付き大事に至らなくて良かった。自分はまともな企業で優秀な実績を挙げた経験があり、そのような人材ですら仕事で健康面に支障が出るということは、自身の問題ではなく「前段」が破綻しており、その程度の企業であるという「粗悪さ」を正しく見抜くことができた。その意味でも優秀。
o08usyu7231.hatenablog.com
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「過重労働になるとテンション上がるわ!」- 「まともな企業ほどテンション上がるわ!」
「IT業界でやっていくにはどれだけ自分を犠牲にできるかだ!」- 「IT業界でやっていくにはどれだけ自分を犠牲にせずにできるかだ!」
2.「社畜」はまともな環境を「甘い」と称して自分に優位性があると勘違いする
上述したように「社畜」は、「悲惨な状況でも頑張ってる自分は偉い」と自慢したがるのだが、これだけではない。
更にタチが悪いのは、まともな労働環境でやってきた人や、労働環境の異常さを訴える人に対して、「甘い」などと批判し、マウントを取るケースである。劣悪な労働環境に対して「異常である」と、正常な判断力をもった人に対して足を引っ張ることは、最悪で迷惑極まりないのである。
- 「今月は残業40時間/月超えてしまった!」
- 「甘いな!俺は50時間/月を超えたぞ!」
- 「甘いな!俺は100時間/月を超えたぞ!」
- 「甘いな!俺は150時間/月を超えたぞ!」
このような状況は、足の引っ張り合いだ。「社畜」は、自分自身で「悲惨な状況でも頑張ってる自分は偉い」と思うのはその人の勝手だが、他人に自慢したり、さらには他人を悪い方向へ巻き込むという害悪でしかない。
本来、労働環境が悪い企業は、経営陣や管理職が率先して労働環境改善に取り組まなければならず、これを行わなければ労働者や世間から批判の的となるのが普通だが、「社畜」が労働者に混じっていると、批判の的となるのは「まともな感覚をもった労働者」だ。おかしな話である。
本来、労働時間が正常な範囲で、業務が滞りなく回っていることを自慢してもらいたいものである。
- 「今月は残業40時間/月超えてしまった!」
- 「甘いな!俺は20時間/月で抑えたぞ!」
- 「甘いな!俺は10時間/月で抑えたぞ!」
- 「甘いな!俺は0時間/月だ!」
このような感じに!
3.「社畜」は文句を言いながら頑張り続け、改善のための行動を起こさない
上述したように「社畜」は、「悲惨な状況でも頑張ってる自分は偉い」と自慢したがるのだが、「悲惨な状況」に対して「改善」もしくは「脱出」するための行動を起こさない。「耐える」「頑張る」ことに価値があると感じているのだろうか?
確かに、苦しい状況でも「踏ん張り時だ!」というマインドを、私も持っていたことがある。しかし、(人によって異なるが)一定限度以上の我慢は、心身を壊し、最悪再起不能となるリスクを抱えており、大変危険である。また、私の記憶では、我慢を続けた末、状況が良くなったということは一度もない。
労働環境に関して、他社事例や世間一般、専門家の見解をインプットに、「ここは異常だ!」と気付き、「改善」もしくは「脱出」する行動を起こすことが重要ではないだろうか?
劣悪な労働環境を理由に、会社を辞めると「社畜」は、
- 「組織についていけず、脱落した!」
- 「あいつはメンタルが弱いのか!」
- 「みんな頑張っているのに、意気地無しだ!」
- 「会社を辞めるなど『逃げ』である!」
などと、辞めた人に対して批判し、「耐える」ことを続けている自分達に優位性があると勘違いする。
逆に、上述のような労働環境の会社なら、辞める人のほうがまともであり、「思考力」「判断力」「決断力」「行動力」全て上なのである。「社畜」はこのことに気付かない。
まともな人が辞めていき、劣悪な会社に残る「社畜」の割合が多くなり、残った本人は「社畜」である自覚がなく、思考停止になる。そして、ますます「改善」のための行動を起こさなくなる。会社を辞めることは『逃げ』ではない。労働環境の悪い会社に居続ける方が、個人にも組織にも社会にも害悪だ。
4.上位者は都合の良い「従順な社畜」のことを「優秀な人材」として重宝する
「社畜」は上述したように、まともな感覚を持った人にとっては迷惑でしかないのだが、会社にとって都合が良いので、管理職等の上位者に重宝される。上位者も「社畜」を都合良く使うので、まともな感覚を持った人から見ると会社自体もブラックから抜け出せない。
実際に過去に私が関与した労働環境が悪いプロジェクトでは、その現場の管理職は、他のまともな開発現場で優秀な実績を残してきた私よりも、私より若く体力がありメンタルがタフな「社畜」のほうを好み、重宝しているという事実もあった。この現場での「優秀な人材」は「従順な社畜」のことを指すということに、後になって気付いた。前述の管理職は、この「社畜」を絶対に手放さないといった感じてある。実際に私はこの現場を抜け出し、労働環境の良いところへ移って、私としても居心地が良くなり、周りからも高く評価されるようになったのである。
「社畜」と「社畜を都合良く使う上司」の相性の良さは抜群であり、一般の人にとっては働く価値のないブラックの底辺と断言できる。
逆に、まともな会社の中には
- 「会社が今後どのようになるか先のことはわからないので、他へ行っても通用するスキルを身に付けるべきだ!」
- 「いつでも転職できるようにする(くらいのスキルを付けておく)べきだ!」
- 「他所で通用しない人間ほど、会社にしがみつく。あり得ないぞ!」
と公言する管理職もいる。全くその通りである。「社畜」とその悪影響を正しく見極めるとともに、普段からの準備と行動が大切だ!
最後に、「社畜」になるなら「仮面社畜」のほうが断然良い。その理由は、下記の書籍を手に取って読んで欲しい。