ソフトウェアエンジニアが労働について情報発信するブログ

ブラック労働からホワイト労働まで経験したソフトウェアエンジニアが世の中にとって役立つことを情報発信していく。

「自己中心的」と「自己を犠牲にしない」は全く意味が違う!勘違いするな!

「自己中心的」と「自己を犠牲にしない」ことを区別できない人が、一定割合いるようだ。中には管理職であってもそのような人材を見たことがあるくらいだ。逆に、「自己を犠牲にしない」ことを「自己中心的」と非難され困っている人もいるだろう。非難する側はこれらを正しく区別する必要があるし、非難される側はこれによって怯む必要が無いことについてお伝えしたい。

目次


1.「自己中心的」と「自己を犠牲にしない」、各々の意味

「自己中心的」「わがまま」といえば何となくネガティブなイメージを持つ人も少なくないだろう。そのネガティブな解釈をすれば「自分さえよければ、他はどうでもよい」というマインドが当てはまるだろう。「他人を犠牲にしてでも自分が得をすれば良い」という考え方を持つ人がいれば、周囲の人間にとっては限りなく迷惑な存在であり、場合によっては「自己中心的」な社員がいれば企業や組織が正常に機能せず、崩壊するといったリスクを抱えることになる。

一方、「自己を犠牲にしない」はどうだろうか。普段は全体・組織・他人のために尽力し、奉仕する利他的な人であっても、自分を犠牲にまでして奉仕しないという意味合いが強い。

この「自己を犠牲にしない」ことを「自己中心的」と非難する人は、その非難する人にとって都合が悪いだけであり、非難される人が犠牲となったうえで何かを成し遂げることを求めている可能性を考えると、この非難する人の方が「自己中心的」と言える。

ブラック企業を辞める」「パワハラ被害を訴える」など社会的に普通である行為であり、これを行う人は「自己を犠牲にしない」ために行っていることでも、これによって都合が悪いと感じる人間が、「あいつは自己中心的だ」と言ったりする。

そのようなあるあるを、もう少し例を挙げて説明するとともに、本来あるべき正しい考え方をお伝えする。

2.多忙な時期でも残業時間が少ないメンバーは「自己中心的」なのか?

業務の繁忙期に心理的に余裕がなくなっている中、残業時間が少ない人に対して、

「みんな(長時間)頑張っている中、なぜお前は(長時間)頑張らないのだ! (周囲のメンバーに合わせろ!)」

などと(口には出さなくても)このようなマインドを持つ未熟者がいる。また、このような風潮により、残業が少ない人にとっても周囲から「自己中心的な人間」と思われたくない心理から、周囲と合わせて残業をしてしまう。更に酷い場合は休日出勤にも至ってしまう。これこそが、メンバーのモチベーションを下げ、組織全体にとっての無駄であることにリーダーや管理職が気づかなければならない。
o08usyu7231.hatenablog.com

本来、残業が常態化する原因を特定し、これを解消するのがリーダーや管理職の役割である。これをせずに残業で賄うことは、メンバーの「犠牲」の上に業務が成り立っていることになる。メンバーが無理をして業務を成り立たせてしまうからこそ、まともなリーダーや管理職が育たないことにもなるし、そのような労働環境を放置しているほうこそ「自己中心的」なのではないだろうか?

人間は朝起きて13時間以上経過すれば、酒酔い運転と同様のレベルにまで作業効率が低下することが、医学的に証明されている。そのような労働者に割増賃金を含めた残業代を支払っていることこそ、非常に効率が悪い。そして業務にミスが出る、ソフトウェア開発なら品質問題に至ってしまうと、そのメンバーが責められることになる。生活面を壊され、健康面のリスクを負い、業務効率が下がり、これによるしわ寄せが表面化するとそこの部分だけ叩かれるといった、何重もの「犠牲」「不利益」を強いられ、これを回避しようとすればそれすらも叩かれるとなるとメンバーは行き場を失う。犠牲になるのはメンバーだけではない。このメンバーが属する組織は、「労務管理が杜撰」「人権侵害の助長」と見なされ、社会的信用を失う。

このようなことを理解していないリーダー、管理職、取引先は徹底的に我が身を振り返り是正が必須であるとともに、このような未熟者によって被害を受けている人たちは是非「自己を犠牲にしない」ためにも、相手側に是正を要求するか、場合によっては関係を断つことを検討してほしい。
o08usyu7231.hatenablog.com
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3.パワハラ被害に対する正当防衛は「自己中心的」なのか?

他社の管理職(パワハラ加害者)からパワハラを受けた被害者が苦痛により、体調を壊した。この件に関し、後日被害者からパワハラ加害者に対してクレームした。その結果、しばらく当人同士でトラブルになったものの、被害者が屈することなく労働問題に対する正論を発信し、パワハラ加害者が最終的に謝罪した。これは組織内どころか、企業間の垣根を超えた社会的優良事例である。
しかし、後に被害者の上司(被害者側組織の管理職)は被害者に対して、

  • 「他社の管理職(パワハラ加害者)の意図を理解していたか?」
  • 「被害者の体調不良は他社には関係なく、当社内部で解決すべき。」
  • 「会社対会社の関係を考えているか?」

などと被害者を責めた挙げ句の果てに、被害者の人事評価を低評価とした。
被害者の上司の行為は、明らかにパワハラ被害者を黙らせることを目的としていることが見えており、セカンドハラスメントにあたる。
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被害者の上司による、被害者への人事評価を低評価とした内容をもう少し詳しく見てみる。

「他社の人間に対して自己中心的な発言がある」

とのコメントがある。被害者がパワハラを受けた背景を知らない人からすれば、被害者に問題があるように見えてしまい、第三者を誤認させてしまう表現である。

しかし、他社の管理職からパワハラを受けたときの証拠、上司がこれについての見解を述べているときの証拠を、被害者が保有しており、人事評価のコメントと上司の見解の内容が合致したことにより、パワハラ被害に対する正当防衛を「自己中心的な発言」と称していることが証明された。

ここでいう「自己中心的」は本当に「自己中心的」なのだろうか?

上述した通り、パワハラの正当防衛は、被害者にとって「自己を犠牲にしない」意味でも、会社にとって「信頼・評判の低下や、法的リスクの回避」の意味でも、社会的優良事例である。即ち「自己を犠牲にしない」ことを「自己中心的」と言い換えている典型である。

被害者の上司は、人事評価という土俵の上で、パワハラが発生していることを知りながら都合が悪いという理由でこれを隠蔽し、被害者が他社の管理職(パワハラ加害者)に対して何かやったことのみを吊るし上げ、低評価の根拠としている。被害者の上司の行為は、被害者を犠牲にしたうえで自らはパワハラ発生に対する不適切な対応に関する責任逃れでしかないため、この上司の方こそが「自己中心的」と言えるのである。よって、被害者の上司はコンプライアンス意識欠落を理由に、被害者から社会的に信頼を失ってしまって然りなのである。

被害者の上司は、責任を取ったうえで人事評価における表現を次のように改めるべきである。

×他社の人間に対して自己中心的な発言
○他社のパワハラ加害者に対する人間教育という会社間の垣根を超えた社会的優良事例、および自己犠牲の回避と組織の信用低下・法的リスクの回避に繋げた模範的行為

4.「自己を犠牲にしない」ことは正しいので遠慮なくそのようにすべき

「周囲のために」「他人のために」「組織のために」という理由で、自己を犠牲にしても誰も得をしない。周囲から「自己中心的であるべきでない」と煽りを受けこれに応えた結果、自己を犠牲にしてしまっては元も子もない。他人を気遣いすぎると自分が傷つく世の中、現代社会では自分の気持ちを顧みずに他人に気を遣いすぎる人は、むしろ不自然かもしれない。

「自分を犠牲にしない」ことは正しいことである。「他人の犠牲の上に物事が成り立つ」ことが間違っているのである。前者と後者は明らかに意味が異なり、ブラック企業の上層部や、不良取引先は後者に当たる。ソフトウェアエンジニアの犠牲的労働によって、システム開発プロジェクトが成り立っているような企業は、そもそも根本的な是正が必要だし、ソフトウェアエンジニアもそのことを主張すべきなのである。ソフトウェアエンジニア以外のどの職業にも同じことが言える。

人間とは本来、自分中心である。生きるうえで自分のことだけを追求すべきなのか、他人のために献身的に生きるべきなのかという議論は慎重にならざるを得ない。それでも、「自分自身を一番に考えなさい」とアドバイスする精神科医が居る。それが正しい優先順位だからだ。私も同感である。

「自己を犠牲にしない」ことを阻害し、「自己中心的」であると批判する、そのような人材こそが「自己中心的」なのであり、そのような組織にあなたの力を貸す必要はない。