「他人のせいにするな」と一般的によく言われる。
あたかも、自分の責任と考えることを美徳としているようだ。
そうしたところで何か事態が好転しただろうか?
私はそうは思わない。
そんな綺麗事に振り回されることで、余計なことで消耗し、かえって自分にとっての不利益や被害が大きくなり、根本問題が解決しないということが実際にある。
- 「自分のせいだと言っておけば・・・」
- 「自分さえ我慢すれば・・・」
このような考え方が一番危険だ。
類似の悩みを持っている方は、是非とも参考にしていただきたい。

1.「他人のせいにするな」あるあるの綺麗事と現実
他人のせいにすると言うとあまり聞こえが良くない。
- 「他人の○○が原因だ」
- 「○○の状況が原因だ」
と言うと
- 「他人のせいにするのは良くない」
- 「あなたに原因がある」
と言われることがよくある。
同様に
「他人や企業のせいにする人は、他の環境へ移ったとしても、またその環境で他人や企業のせいにし、結局どこへいっても通用しない人材になる」
と、人事のインタビューや転職関連の記事で見ることがある。
しかし、実際には他人のせいで自分が被害に遭うことは山ほどある。実に理不尽な話だ。
例えば、ソフトウェア開発ならば、多重下請け構造の末端における長時間労働、未熟なリーダーや管理職が無理な要求を受け入れることに起因した過重労働、未熟な上司によるパワハラ、最悪な環境に身を置けば自分に非がなくても自分が被害を受けることがある。これをおかしいと思うか、そういうものだと洗脳されるかは、自分自身次第である。
2.自分せいではないと確信した事例
私は長年ソフトウェア開発の仕事をしているが、元々
「長時間労働の原因は自分のスキル不足にある」
と長年思い込んでいた。
「他人のせいにするのはいけない」
と必死に努力したが、無理が祟り体調を壊したことがあった。
その後、ホワイトな働き方ができる開発現場へ移り、そこでプロジェクトに成功しお客様から高い評価を得た。更に、他社事例、世間一般の認識、専門家の見解を調べて気付いた。
「長時間労働の原因は自分のスキル不足ではない」と。
私に無理が祟ったプロジェクトにおける管理職のマネジメントが未熟であると後からわかった。
o08usyu7231.hatenablog.com
短納期で追い詰められ長時間労働となっていた開発現場では、自分だけでなく皆作業量が多かったし、個人のスキル云々よりもさらに前段に問題があった。
仮に自分個人のスキル不足なら、自分だけが仕事が遅く長時間労働になっても、他の人は順調に進み長時間労働にはならないだろう。よって、このことも個人のスキル不足では説明がつかない理由だ。
- 「自分のせいだ」
- 「自分の能力が低いからだ」
このように考えている間は何も解決しなかった。
長時間労働しなければいけないほどのブラックな環境であると正しく見抜けなかったのが「自分のせい」なのだろう。
実際私は上記の出来事による気付きの後、下請けメインのIT企業から大手メーカーへの転職によって、労働環境が改善された。
「他人のせい」「環境のせい」と正しく判断し、行動を起こし、事態が好転した結果だ。
3.経験から得た持論は、「誰のせいか」ではなく「根本原因は何か」である
「他人のせいにするな」と言う人ほど信用できない。
なぜなら、
「他人のせいにするのは良くない。あなたに原因がある」
とあなたのせいにしている。
つまり「他人のせいにするのは良くない」と言っているその人が、「あなた」という(その人から見た)他人のせいにしている。
更に問題なのは、力関係を背景に「被害者のせい」にするケースだ。
パワハラによる被害を例にすれば、パワハラ発生を隠蔽したい、もしくはパワハラ発生から話を反らしたい意図で、パワハラ被害者の荒を探し、
「被害者にも悪いところがある」
と被害者に対して責任追及することがある。
このような行為を、セカンドハラスメント(二次ハラスメント)と呼ぶ。セカンドハラスメントは違法行為である。
o08usyu7231.hatenablog.com
結局、あなたに向かって「他人のせいにするな」と言う人は、あなたに責任を擦り付けようとしている側の人間である。
あなたのせいにすることで擦り付ける側とって都合が良いだけである。
根本問題がどうであれ、あなたに「他人のせいにするな」と言うだけなのである。
そのような人は、被害者や立場の弱い人間に責任を押し付けることで、根本問題を隠蔽することに長けているため、ハラスメント体質である可能性が高い。
「他責思考はいけない」という人ほど他責思考で、しかも被害者に責任追及する傾向があることを覚えておきたい。
重要なのは自分のせいにするか、他人のせいにするかではなく、何が根本問題なのかを正しく見極めることである。
本当に「他人のせい」であるならば「他人のせい」だと言うべきだ。それが正しければである。パワハラが発生したならば、「パワハラ加害者のせいだ」と堂々と言うべきだ。なぜならそれが正しいからである。
他人のせいであっても、ある程度自分の力で防ぐことができるかもしれない。もしくは自分の力では防ぐことはできない不可抗力かもしれない。繰り返し言うが、重要なのは正しく見極めることだ。
自分に原因があるのに他人のせいにするはよくない。これは確実に言えるし、世間一般で言われている「他人のせいにするな」「他責思考」のことを指すと考えて良い。
しかし他人に原因があるのに、自分に原因があると思い込んでいると、いつまでたっても問題が解決せず、最悪の場合解決から遠ざかることもある。原因でない自分が無駄な労力を要して消耗し、最悪の場合精神がやられて再起不能になる一方で、本当に問題がある他人において根本的な是正がされないからだ。
「他人のせいにするのはいけない」という謙虚さが仇となり、本当に見抜くべき悪事や問題点を見抜けないことで、それによって受ける被害や迷惑のほうが大きい可能性を視野に入れるべきである。
4.綺麗事を信用して正しい見極めができないことが自分のせいだ!
実際、先程挙げた私の経験では、自分が被害に遭い、自分に原因があると考えている間は何も解決しなかった。しかし、世間や他社での類似事例に目を向けるなどしてよくよく検証を重ねてみると、自分以外に原因があることに気づく。
ここを正しく見抜けなかったのは自分の責任であるかもしれない。職場におけるブラック労働やハラスメントなど、何かおかしいと思ったらその感覚を大切にしてほしい。
o08usyu7231.hatenablog.com
他人や企業のせいだと見抜き、それが転職など環境を変えることによって解決したならば、他人や企業のせいだと見抜いたことが正解である。いくら転職を重ねても解決しない場合は、もしかしたら自分のせいかもしれない くらいの感覚で疑ってみると良いだろう。
何か問題が起きた時の被害者に対して、あたかも被害者に問題があるかのようなマインドコントロールを仕掛けてくるのは、ブラック企業やハラスメント加害者の常套手段である。
何かおかしいと思ったら、なぜおかしいと思ったのか、素直な気持ちで明確にしてみると良い。必ず何か問題が見つかるはずである。自分が原因であったとしても、他人が原因であったとしても、環境が原因であったとしても。
「他人のせいにしてはいけない」と言う綺麗事のみを信用して、自分が被害を受けても泣き寝入りしてしまえば、本来解決するであろう問題も放置されたままになることを忘れてはならない。我慢し続けて、精神を壊して犠牲になる前に、他人や企業に問題がないか正しく見極めてほしいと願っている。
そして、「正しく見極めることができない」ことが「自分のせい」なのかも知れない。