「ブラック企業」もしくは「ブラック労働」に耐えなければやっていけない企業というのは、まだまだ存在する。
私はこれまでソフトウェアエンジニアとして「ブラック労働」から「ホワイト労働」まで経験してきた。
「ブラック労働」に巻き込まれているときは
「業務のハードルが高くて、自分はスキル不足かもしれない」
と思っていたことがある。
しかし、今は違う。
何が「ハードルが高い」と感じさせたのだろか?
過重労働により、心身が削られ、判断力が低下したことが一因だと考えている。
「ブラック労働」に巻き込まれている人は、どのような能力が必要なのかイメージしながら読んでいただきたい。
1.私がイメージする「優良企業」「ブラック企業」で求められる能力
「優良企業」というと聞こえは良い。友人や知り合いが勤めていると「すごいねぇ」等と言ったりすることがよくある。
「優良企業」は、就職や転職市場において人気である一方で、入社するには高い能力や実績が必要になる。そして、そこで就業し続けていくにはハードルが高く、高い成果が求められる。
私が見てきた限りのイメージだが、具体的には、
- 提案・改善する能力
- 判断力
- 応用力
- 協調性
といった、能動的な人材、革新的な姿勢、およびアウトプットする能力が求められるイメージだ。
周囲に優秀な人材が多く居り、チームワークも良く、協力や理解が得られやすく、コミュニケーションの質も高いので、自分の能力を発揮しやすく、高い成果が出しやすい。楽ではないが、やりがいがあり、成長でき、健康面や生活面に無理が祟ることがない点が、私が考える特徴である。
一方「ブラック企業」で求められる能力について考えてみる。ここでは「ブラック企業」に限らず、そこまでは至らなくとも、労働環境が悪い「ブラック寄り」の企業も含めて述べることにする。
こちらは入社のハードルは高くないが、就業していくには「優良企業」と別の意味でハードルが高い。いくら優秀な人材でも、その企業にとって都合が悪い人材にとっては、大変居心地の悪い思いをすることがある。
私が見てきた限りのイメージだが、具体的には、
- 忠誠心
- 従順さ
- 謙虚さ
- 体力
- ストレス耐性
といった、一般的に優位性のある市場価値よりも、組織の意向ややり方に従う姿勢の方が重要視される。「社畜」と呼ばれる人がいるのも頷ける。
何か提案をしても、理不尽な理由で聞き入れられないことが多い。
「前からこのやり方だから・・・」
と、プロセスを見直す姿勢が全く見受けられなかったり、
「顧客がこういってるから・・・」
と、明らかにおかしなことや非効率なことでも、内容よりも力関係を背景とした結論付けを行うことがよくある。中には、普通に考えればおかしなことでも「業界の常識」と称して洗脳してくるケースさえある。
例えば、「無理な納期」でシステム開発を成し遂げようとする場合、「優良企業」では
- 「納期を延期する」
- 「断る」
- 「不良顧客を切る」
「ブラック企業」では
- 「残業で賄う」
- 「徹夜・休日出勤で賄う」
- 「客の要求であることを大義名分にして従う」
と、対応方針が全くことなるのである。よって、これに応じて社員に求める能力も変わってくる。
2.自分自身の能力と体験を振り返る
昔は、「ブラック労働」の中でやっていくにあたり
- 「極めて高い能力が必要だ」
- 「自分はまだまだスキル不足だ」
と感じたことがある。
しかし、当たり前であるが多くの人にとって満足度が高いのは「ホワイト労働」のほうである。
ブラック企業に限らず、労働環境の悪い企業では、やっていくのが大変だ。
業務に対して、何らかのアウトプット(成果)が求められていることは、どの企業も同じである。
私が新卒で入社した下請け・派遣を中心としたIT企業に在職中、大手企業への「客先常駐」となった。新人・若手で経験が浅く、スキルが低い頃は、業務上いろいろ苦労することがあった。これは普通である。長時間労働にも巻き込まれたが、これは上位者によるマネジメントの問題である。そして、段々と業務に慣れ、技術が身に付き、時間をかけて地道に成長していく。周囲の協力や配慮、共感もある。常駐先社員の指導・教育、常駐先企業の顧客企業に対する窓口担当、リーダー・サブリーダーの経験もある。能動的に業務に取り組むことが多かった。良いことばかりではないが、最終的に自分が成長でき、良い思い出が出来た企業である。
また、別の「客先常駐」先の企業では、労働環境がホワイトであり、業務への丁寧さが常駐先企業に好印象を持たれ、楽に高く評価され、その後のキャリアに影響を与えたケースもある。
o08usyu7231.hatenablog.com
私が新卒で入社した下請け・派遣を中心としたIT企業に在職中、「自社開発」も経験した。この「自社開発」が私には馴染まなかった。「成長のため」という大義名分により、不慣れな業務を丸投げされる。技術力はあっても管理職のマネジメントが未熟であることにより、末端社員がそのしわ寄せを受ける。長時間労働にも巻き込まれた。その先に起きることは「成長」ではなく、「疲労」の末の「健康被害」だった。
「自分は『優良企業』で実績を出したのだから、この状況を打開できる」
と考えていたが、そうはいかなかった。
「ブラック企業」で「優良企業」にいるときと同じように、もしくはそれ以上に頑張ることがいかに間違いであるか、後になって気づいた。
「ブラック企業」は何が大変かというと、求められる成果がそれほど高くなくても、労働環境が悪い、協力が得られず丸投げ、モチベーションが保ちにくい、リーダー・管理職によるマネジメントが未熟であることから、末端社員がしわ寄せを受ける。そのような劣悪で破綻した「前段」にありながら一般企業並みにやっていくには、末端社員が極めて高いパフォーマンスが必要となる。
この劣悪な「前段」のことを「厳しさ」と称している企業は、高確率でブラックである。
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末端社員による極めて高いパフォーマンスの発揮を妨げる要因を大きく分類すると、以下の2つのパターンだ。
- 「成果」を出すための「前段」が破綻している。
- 「成果」を出しても「軽視」される。
1つ目は、「前段」が破綻していること。例えば異常に短い納期であるようなケースである。顧客の理解、経営陣の理解、管理職の理解、調整能力、不適切なリソース配分を棚に上げ、通常数か月かかるようなシステム開発案件でも、数週間、数日での完成を求めるといった、通常では考えられないことがIT業界・ソフトウェア開発ではよくある。これを効率よく行い、納期を守ることがエンジニアとしての「能力が高い」とされる風潮がある。確かに達成すれば「能力が高い」かもしれない。しかし、達成される確率は極めて低く、長時間労働等により心身ともに疲弊し、健康面他リスクの方が大きい。未熟な管理職やリーダーが末端社員をパワーでコントロールし、末端社員の犠牲に頼っているだけでしかない。そしてその多くはその自覚すらない。例えこのような開発においてスケジュール通り進まなくとも、それは末端社員の能力が低く依頼元に迷惑をかけているのではなく、破綻した「前段」のしわ寄せにより末端社員が迷惑を受けていると認識したほうが正しいだろう。
2つ目は、「軽視」。上述のような状況で例え納期を守ることができたとしても、管理職にその状況や大変さを正しく理解し、適切に評価するだけの能力が伴っていないことによって「できて当たり前」と「軽視」され、結果として「過小評価」に繋がる。それどころか、更に高い「成果」が求められ、実質「搾取」状態となる。これも普通では考えられない。
この2つの要素により、「ブラック企業」、「ブラック寄り」の企業、「ブラック労働」現場と認識されるようになり、真面目で優秀な人材ほど嫌気が差し、その職場にいてあげる価値がないと感じて流出する。しかし、「自分の能力が低い」(=自己肯定感が低い)人は、搾取されていることすら気付かないケースがある。
「ブラック企業」に限らず、個人個人が能力を発揮できるか否かは、管理職の能力や姿勢に大きく依存することがわかっている。未熟な管理職は成長させたい社員に
- 「期待している」
- 「頑張ってほしい」
- 「成長してほしい」
などと、成長させたい社員の尻を叩き、アクセルを踏ませようとする。これは指導のプロではない。有能な管理職は、成長してほしい社員にとっての阻害要因を除去し、パフォーマンスを発揮させ成長させるための「前段」を整える。ここが大きな違いである。
管理職の能力や姿勢によって、末端社員がどれほど苦労するか、どのように苦労するのかが変わってくる。末端社員から見ると、このような環境でやっていくための必要な要素は、「能力」ではなく「忍耐」という表現がふさわしい。
3.企業により求められる能力は様々だが、「ブラック企業」で求められる能力は相対的に高い
どの業界もそうだが、企業にはいろいろあり、上位企業、下位企業などと言われている。
(1)「優秀な人材が集まる大手企業」「健全なホワイト企業」
(2)「中堅の人材が集まる大手企業の下請け企業(グループ企業)」
(3)「底辺の人材が集まる下請け・孫請け・派遣を中心とした企業」
偏見はいけないとわかっていながら、私はどうしても(1)>(2)>(3)の順に優劣を付けてしまう。実際今までの私のキャリアの上ではこれとマッチしている。私は(3)に所属しながら(1)(2)へ客先常駐として業務をし、「優良企業」ほど私を高く評価するという傾向を掴んでいる。また、(3)→(1)に転職している。そもそも、私はなぜ(3)にいるのか、(3)にいるのは違うのではないか、そう思ったり、周囲からそう言われることもある。しかし、当時は目の前の業務のことばかり考えており、そのことに気にかけることもしなかった。今考えると恐ろしい。
もっと広い世界を見ると、フリーランスにも、スタートアップにも、優秀な人材はいる。それぞれに求められる能力は違う。企業それぞれ、人それぞれである。
しかし、これまでの私の経験から見えている範囲についてまとめると以下のとおりである。
●「優良企業」
周囲に優秀な人材が多く高い成果が求められる。能力アップに励まないと周囲についていけなくなり辛くなるし、ハードルが高そうに見える。更に、現状に甘んずることなく改善提案、更なる効率化等、指示待ちではなく能動的に業務に取り組む人材でなければ評価されない。しかし、周囲の理解や協力が得られやすく、コミュニケーションも活発で質が高く、チームワークが良いため、自身の能力が発揮され、高い成果を達成し、周囲から認められる。求められる成果は高いが、能力の高い人にとっては居心地は良い。
●「ブラック企業」
それなりの成果が求められる。しかし、長時間労働、(場合によっては)パワハラをはじめ、リーダー・管理職によるマネジメントが未熟であることのしわ寄せが末端社員にまで押し寄せる。末端社員の中には、これを「しわ寄せ」ではなく「自身の能力不足・努力不足」であるかのように、マウントを取られ、マインドコントロールされる。求められる絶対的な成果自体はそれほど高くなくても、それを達成するための「前段」が破綻しているため、相対的なハードルは極めて高くなり、末端社員がスーパーマンのようなパフォーマンスを発揮しないと、企業がまともにやっていけない。
「優良企業」は高い能力やアウトプットが求められるが、周囲に優秀な人材がおり、協力が得られやすく、互いの強みを発揮し合い、成果が出やすい。「ブラック企業」は求められアウトプットは絶対的に高くないが、未熟者が力関係上強い立場にあり、このしわ寄せによって長時間労働やパワハラが起きやすく労働環境が悪い等、成果を出すための「前段」が破綻しているため、「優良企業」と比べてゴールまでのハードルが相対的に高いように感じるだけである。
よって、「ブラック企業」における業務に高い能力が求められるというのは、そのように見えるだけである。「ブラック企業」でやっていくために必要なの「能力」ではなく「忍耐」である。だから、そもそもそのような所は、管理職が成長せず、優秀な人材は集まらないのである。
4.「『粗悪さ』を正しく見抜く」ことは必須の能力
私自身もそうだが、同じ能力・スキルの人間でも、働く場所によって周囲からの評価や見え方は大きく変わってくる。
「優良企業」からは高く評価される人材が、業界の底辺のような企業ではもっと高く評価されるかというとそうではなく、あまり評価されないこともある。
どこへ行っても通用する普遍的なスキルを身に付けておくことは必要なのだが、自分がやりたいこと、重視するポイントを明確にし、自分の能力を発揮でき、自分の理想とマッチする企業かどうかを見抜くスキルも必要であると言える。
決して、「ブラック企業」でも通用するスーパーマンのような体力・気力・頭脳が必ずしも必要ではない。このような能力を身に付けようとしても不可能に近いし、仮にできたとしてもブラック企業を生き永らえさせてしまうことになりかねないため、世の中にとって良くない。
ブラック労働に巻き込まれ、思うようなキャリアが描けない状態は、労働者にとって大変不本意である。転職ノウハウ等では、このようなケースにおいても「他責思考」や「言い訳」はあまり良くないと言われるが、これは「個人」と「企業」が対立した時に「企業」側が正しいことを前提としていることが多い。しかし、「ブラック企業」の場合はそもそもその前提が崩れており、「他責思考はいけない」、「言い訳はいけない」と、「謙虚さ」だけが行き過ぎて『粗悪さ』を見落とし、結局自分自身が受ける被害が大きくなる一方である。その状態から抜け出すには、
「『粗悪さ』を正しく見抜く」
能力が必要になる。
他にも、
と多岐に渡る。これらがあってはじめて「『粗悪さ』を正しく見抜く」ことができる。
「ブラック企業」は、無理な要求をする顧客、これを受け入れ従業員を酷使しようとする上司、このような『粗悪さ』によるしわ寄せを受けて従業員が消耗している状態に対して、『高い能力が求められる』『今の力では通用しない』などと称して正当化しているだけなので、本当に『高い能力が求められる』わけではない。
理不尽なことにひたすら耐え続けようとするのではなく普段から、転職、フリーランス、副業等他のキャリアの検討と準備をしておき、会社に依存しないキャリアを本気で考えなければならない。
o08usyu7231.hatenablog.com